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2016

距離系男子な日々Vol.7 真夏のセンチメンタリズム

野花はいったん姿を潜め、世界が単一的な色調で彩られている季節。

溢れ返る虫の音も、まるで蜃気楼の向こう側から木霊してくるようで現実味がなく、いつの間にか知らない空間に迷い込んでしまったような恐怖と孤独感が、じわりと足下から這い上がってきます。



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COSINA Zeiss Ikon/SUMMICRON-M 50mm F2(4th)/XP2 SUPER400


この季節に死後の世界とこちら側の世界が繋がる、という考えが、日本人の夏のイメージをネガティブなものに決定づけています。少なくとも私はその被害者です。


それに加えて、日本特有の美的感覚である”もののあはれ”を投影するのにおあつらえ向きな短命の夏虫たちの存在や、太平洋戦争の犠牲者への追悼と深い反省も相まって、日本人は夏になると生命の終わり戻らない過去を強く意識するように仕向けられているに違いありません。



そんな季節には、モノクロのイメージもピタリとはまるはずです。



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COSINA Zeiss Ikon/SUMMICRON-M 50mm F2(4th)/XP2 SUPER400


夏空の下、恋人二人が肩を並べて歩いていました。

常識的に考えればハッピーなシーンですが、日本人的発想では、こうです。



片方の恋人(女性)はずっと昔に亡くなっていて、彼は毎年夏になると、墓参りをするためにこの坂を登っていく。

ふと空を見上げると、あの夏と同じ雲が空に広がっていて、まるで彼女があの日のように隣に並んで立っているようだと、彼は思ったのだーーー。



そんな光景に見えるのです。



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COSINA Zeiss Ikon/SUMMICRON-M 35mm F2 ASPH./XP2 SUPER400


好奇心に脚と尻尾がついたようなこの子は、終始ゴムまりのように飛び跳ねていました。


幼い頃に遊び回った夏は、きっとこんな感じに夕日に照らされてキラキラしていたはずですが、思い出そうとすると、楽しさよりも切なさが込み上げてきてしまうのは、私個人の問題ではありません。先述したように、そう仕向けられているのです。



どれだけ一心不乱に夏を謳歌しても、それを思い出す段階でネガティブな気持ちになるのですから、お手上げです。

もはや我々には、この季節が運ぶ感傷に身を委ね、センチメンタルな思いに浸るより他はないのです。下手にバカンスなどを楽しもうものなら、手ひどいしっぺ返しを受けることでしょう。



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LEICA M-E/SUMMICRON-M 50mm F2(4th)



今回はレトロスペクティブ5M-EZeiss Ikonを入れて持ち歩いていました。

クリップオンフラッシュすら使わないのであれば、レンジファインダーカメラ2台を持ち歩くのにちょうど良いサイズのカメラバッグで、キャンバス生地の素朴な外見が、都会から離れた空間によく似合います。



当然ながら、持ち物が軽くなるほど心に余裕が生まれ、その隙間からセンチメンタルな気持ちが湧き上がってくるでしょうけれど、敢えてそうするのも風情があります。夏は、汗も涙も流し放題。それはそれで、カタルシスの1つの在り方ということで。



(2017/01/26訂正:記事タイトルがVol.8になっていたのを、Vol.7に訂正しました) 

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